【変わらないを変える】ハーネス東京の2周年を祝う

2024-04-02

エイプリルフールと首都高爆走の日々

厳しい向かい風を真正面に受けながら、ひたすら前へ進むーー

ハーネス東京が歩んできた2年間の道のりは、そのようなものであったと想像できる。

いや、むしろ想像を超えるようなプレッシャーとの闘いだったのかもしれない。

ちょうど2年前の4月1日ーー桜の花が舞い散るなか、朗らかな春の光を受け、界隈の温かい眼差しのもとで、ハーネス東京はオープンを迎えたわけではないのだ。

実際、立ち上げを全面的に引き受けた共同オーナーは、上野の地下に籠って春の訪れも知らないまま、精神の平穏を保つために、深夜の首都高を爆走する日々を送っていたという。

なぜだろうか。

まずは4月1日にオープンが発表されたことから、エイプリルフールの冗談だと思われたのである。

無理もないことだと思う。

Webサイトでは、こだわり抜いたラグジュアリーな内装や、コンセプチュアルな店舗設計が紹介されていたが、それらはアンダーグラウンドの常識から、あまりにもかけ離れており、全く現実感がなかったからだ。

「そのような店が上野にできる筈がない。」というのが、第一印象であったように思う。現に私もそう感じたことを告白しておこう。

このエイプリルフールの騒動はほどなくして落ち着きを見せるが、その後も「内装の豪華さと集客は関係がない」と批判を受ける。

アンダーグラウンド界隈は、何か少しでも新しいことをしようとするものなら、「アングラらしくない」と指弾を受けるほど保守的な世界であったからだ。

そうはいっても、コロナ禍の影響を引きずる中、界隈には停滞感が漂っており、古い習慣に固執しながらも新しい何かを期待するという矛盾した感情と共にあったように思う。

ハーネス東京は、逆風に耐えながらも、そのような期待に応えてきた。毎週のスペース配信や、豪華なグルメイベントがそうである。

このような施策が奏功し、オープン半年に行われた0.5周年イベントの頃には十分な集客力を獲得していた。にもかかわらず、二匹目のドジョウを狙うかの如く、ハーネス東京を模した店は現れなかった。

繰り返しになるが、無理もないことだと思う。

自前で店舗を設計し、膨大な資金を投下して、ラグジュアリーな内装を実現するなど、エイプリルフールの冗談のように非現実的だからだ。

内装のコンセプト準じたスタッフの採用や、グルメイベントやスペース配信の労力など、資本力以外の部分でも追随は難しいのだろう。

ハーネス以降の界隈

「ハーネス以前 / ハーネス以後」

模倣する店が現れなくても、界隈の歴史をこのように区分できるようなインパクトをハーネス東京は残してきた。

ハーネス東京の歴史は、「変わらないことを変える」というチャレンジそのものであったからだ。

少しでも新しいことをすれば批判を受けるような閉鎖的な界隈の空気を一新したのである。

今や、これまでにはなかった革新的な店が注目を浴びるような風潮が当たり前になっている。数年前では考えられらなかった現象だ。

逆にいえば、新しい店にもかかわらず、少しでも旧い印象を与えてしまう店は、自然淘汰される厳しい時代でもある。

桜の花が咲くころ

2周年イベントでは、常連客の好意によって造園業者を紹介されたことで、桜の枝を店内に設置することが検討されているという。

満開の桜とともに祝福を受ける日が、ハーネス東京にようやく訪れたのである。

これはエイプリルフールのような冗談ではなく、目の前にある確かな現実である。そして、これからは界隈の風圧を跳ね返すかのように、深夜に首都高を爆走する必要もない。

2周年を区切りに、店が軌道に乗ったことを見届けるかのごとく、ここでの成功を携えて、新たな人生にチャレンジする関係者もいる。

春は出会いと別れの季節であり、人の縁は桜のように儚い。それは店で繰り広げられる男女のやりとりのようでもあり、しかしそれでこその佳さがある。

ハーネス東京のファウンダーは、桜の花を見るたびにそう思うに違いない。

ちょうど2年前、ハーネス東京オープンと同じタイミングに、このコラムが始まったことを文章のまとめに付け加えたい。このような偶然もあって、私にとってハーネス東京は特別な存在だ。

あたたかい春の日の訪れとともに、ハーネス東京が2周年を迎えたこと、あわせて、これまでお店の成功に貢献してきた関係者の新たな門出を祝して、そろそろ筆をおこう。

ハーネス東京の爆走は3年目も続くーー

【了】

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