スペース「ハプニング全史」の配信と「全店舗リスト」の公開について

2022-09-09

スペース配信の経緯

8/23と8/25にスペース配信を行った。

初回配信の「ハプニング全史#0」では、大変ありがたいことに、150人以上のリスナーにスペースを聴いていただいた。

このような状況は、8/22の「ハーネス東京公式スペース」にゲスト登壇したことがきっかけであった。

出演中に、「ハプニングバー全店舗のリストを作成中である」という趣旨の発言をしたところ、ハーネス東京のオーナーより「いつ公開するのか?」という質問があった。
その時は「ひと月内に公開する」と回答したのであったが、配信が終わった後、翌日にリストを公開し、同時にスペースも配信しようと考えなおしたのである。
ハーネス東京のオーナーであれば、そのようなスピード感で次の一手を打つと直感したからだ。

結果は大当たりだった。
150人以上のリスナーに加えて、配信直後から大量のDMをいただいたのである。
そこには私が知りたかったお店に関する貴重な情報が記されていた。
感慨無量である。

あまりにも膨大な情報を「全店舗リスト」に反映させるために寝不足になってしまったほどである。
アップデートしたリストをもとに、8/25に「ハプニング全史#01」のスペースを配信した。
試験配信という位置付けの前回と同内容であるにもかかわらず、多数の方にご清聴いただいた。感謝という他ない。

そもそもこのコラムを始めたのも、「ハーネス東京」のオープンに興味を持ったのがきっかけであり、スペースを配信したのも、「ハーネス東京公式スペース」へのゲスト登壇が契機であった。
さらには、「ハーネス東京」のオープンとコラムの開始も同時期であるので、不思議な縁というよりは、なにか運命的なものさえ感じている。

「全店舗リスト」作成プロジェクト

スペース配信とともに、作成中の「全店舗リスト」を公開した。

リストに記載されたお店を解説する前に、今後予想される以下の疑問に答えていきたいと思う。

  • 「全店舗リスト」とは何か
  • 「全店舗リスト」の意義は何か
  • 「ハプバー全史」ではないのは何故か

「全店舗リスト」とはその名の通り、今までに存在したハプニングバー全店を網羅した一覧である。それだけではなくカップル喫茶や変態カフェもハプニングバーの源流であるため記載している。

リストへの記載内容は、

  • 店名
  • 営業期間
  • 所在地

の3つである。

それ以外の情報は無用なトラブルを引き起こす原因であるから不要であると考えた。
具体的には、オーナーの変遷や、どの店の常連や店長が独立した店であるというような公表していない情報は掲載していない。

「史料」としてのハプニングバー

ところで、これまでハプニングバーは法律的にグレーであるため、SMやテレクラなどと違って文書で記録が残される機会に恵まれなかった。もちろん、店内の出来事や店の存在をみだりに口外してはいけないアングラ特有の不文律も影響している。
実際にテレクラや出会い系サービスなどは、青少年保護の観点という規制当局のニーズに応答する形で論文が多数発表されているし、テレクラを研究した宮台真司のような社会学者もいる。

それ以外にも、テレクラの歴史を解説するブログなども多数存在するようだ。

しかし、ハプニングバーについての論文や、有益な情報が歴史的な経緯を記したブログはほとんどない。検索した限りでは、コラムでもたびたび引用させていただく以下の記事しか見つからなかった。それ以外は商材や出会い系サービスに紐づいたアフィリエイト記事である。

このようにハプニングバーの歴史を論じる先行研究がほとんどないことは、「ハプバー考古学」という一連のコラムを始めるに至った動機につながった。

【ハプバー考古学 #01】ハプニング・バーの古層を辿る

一連のコラムのなかで、ハプニングバーの歴史を辿るには、これまでに存在した店舗の情報が必要であると感じとともに、それを保全する必要性も思い知らされた。
それは、関係者へのヒアリングを進めるうち、20年も経過しているため記憶が曖昧になっていたり、すでに亡くなっている方が出ているという現実を目の当たりにし、「全店舗リスト」の作成が急務であると痛感したからだ。

それだけではない。将来的にはハプニングバーについても、吉原の遊郭などのように性文化史や風俗史で取り上げられる可能性が高いと考え、研究のために資料を作成しておくことは有用であると考えた。

そのような経緯で、コラムを始めた当初からリストの作成を予定しており、2カ月ほど前から取り掛かっていたのだった。
具体的な作成方法については、WebArchiveという過去のWebを参照できるサービスを使って、20年間で100店舗以上のホームページをリサーチすることで作成した。一つのお店であっても、いくつかのタイミングでスナップショットがあり、時系列が辿っていく必要があるため、「店名」、「営業期間」、「所在地」を調査するだけでも膨大な労力を要する作業になった。
もっとも作成の途上であったが、上述のとおりハーネス東京のスペース登壇により、急遽公開することになった。

リストを公表し、スペースで内容を解説すると、DMで望外の反応があった。
遊んでいた昔のことを懐かしむ声や、最近になってこの世界を知った人からの声援が多かったのである。

そのような経緯を踏まえた「全店舗リスト」の意義は以下のとおりである。

  • 風俗史、性文化史の研究対象になることを見据え「史料」を保全すること
  • 既に引退した方が、自分の通っていた店を見つけて昔を懐かしむこと
  • 最近この世界を知った方が、過去の経緯を知ることで遊びの幅を広げること

本プロジェクトがこれらの一助になればと考えている次第である。

なぜハプバーではないのか?

次に「ハプニングバー全史」というタイトルの由来について解説したい。
まず「ハプニングバー全史」というタイトルは、『サピエンス全史』という人類の歴史を記した書籍から引用した。

「ハプバー全史」というタイトルにしなかったのは個人的な理由であるとともに、本プロジェクトの核心でもある。
リストやTwitterでは文字数の制限からハプバーという言葉を便宜上使用するものの、実のところはハプバーという言葉があまり好きではないからだ。

そもそも、普段会えそうもない人たちとの、あり得そうもない非日常的な体験をハプニングと呼称し、そのような偶然性・一回性が支配する空間、あるいはそれによってもたらされる祝祭の場をハプニングバーと定義していたのではないか。
つまり、ハプニングとは具体的な行為を指し示すものではなく、言語では説明しえない偶発的かつ不定形な現象こそが原義であるといえる。
換言すれば、ハプニングとは具体的な行為ではなく、言語化不能な現象であるということだ。
それは言語を獲得する以前の人類の歴史にも遡ることが可能であり、祝祭や儀式のようでもある。

しかしながら、ハプニングバーという言葉をハプバーと省略し、本来の意味を忘却したまま、それを記号的に扱ってしまえば、具体的な目的を達成することの必然性と反復性を期待するだけの空虚な空間に頽落する。
そして、資本主義のルールに寄り添い、そのような要求に応えた空間は機能的であるため、合理的に行動する者のみが優位に立つようなゲームに他ならない。
人間の作ったゲームのごとき計算可能の世界では、祝祭や奇蹟はとうてい起こりえないことは認識しておく必要があるだろう。

もっともハプバーという言葉を使わなかったのは、先に述べたとおり、ハプバーだけではなく、カップル喫茶や変態バーなどの源流となった形態についても包摂的に捉えるためでもある。

また、たいていお店のホームページではハプニンバーやハプバーという言葉は使用していないことに気づく。
レギュレーションの問題も考えられるが、実際のところそのような言葉が好きではないのではないか。
それはハプバーという言葉に惹かれて、プロセスではなく結果だけを期待されるようなお店にはしたくないからだと考えられる。そのような期待に応えるために、ある種のリスクを犯してまでお店を立ち上げたわけではないのだろう。

ハプバーを語るという矛盾

ここで矛盾が生じる。
本来言語化不能な現象であるハプニングやその空間であるハプニングバーを言語的に説明するという行為である。
その意味で、本プロジェクトは反動的な振る舞いであることは認めざるを得ない。
しかしそうであったとしても、すでに記述したように、ハプニングバーが成立した経緯を残すことには、大きな意義があると思い至ったのである。

また本来語りえないハプニングバーを語るという未踏の企てこそが、不確実性や偶然性を内包するという意味においてハプニングであるともいえるのではないか。

実際のところ、様々な人からDMで連絡をいただき、私にとってはハプニングの連続であった。

プレハプバー期について

過去2回のスペース配信では、作成中の「全店舗リスト」をベースに解説を行った。
スペースを見逃された方や、自分自身の備忘録のために配信で語った内容を文章にまとめて残しておこうと思う。
もっとも調査中の暫定的な事実に基づく見解であることにはご留意いただきたい。

まずは期間を3つに区分し、それぞれを定義することとした。
(便宜上、ハプバーという言葉を使っている)

  1. プレハプバー期
  2. ハプバー期
  3. ポストハプバー期

である。

プレハプバー期とは、ハプニングバーという言葉が生まれる以前の時代区分である。
この時期にはカップル喫茶や変態バーが存在していた。

カップル喫茶のルーツは長く、詳細については以下のブログをご参照いただきたいが、現在のカップル喫茶は、1990年代半ばから関西を中心にブームになったようである。
今でいうカップル喫茶が出来たのは1993年の大阪の「ワクワクドキドキ」というお店のようだ。

カップル喫茶がないときの単独の男性や女性はどのように遊んでいたのであろうか。
おそらくは1985年から始まり1995年に規制によって衰退したテレクラが主流であったと想像される。
後述するがカップル喫茶はハプバーの源流でもあるので、本プロジェクトにおいても押さえておく必要がある。

テレクラ衰退後は、インターネットが普及し始めた1995年から「出会い系掲示板」や「出会い系サイト」が現れ、これらのサイトを使って、パーティが開催されたり、パートナーやサークルの募集が行われるようになる。
出会い系掲示板「ナンネット」は1995年に、ハプニングバー情報サイト「まべなび」の元となるカップル喫茶の情報サイト「marvellous Love」やカップル向けアダルト情報サイト「marvellous-net」は2000年、パーティサークル「サークルバニラ」は2001年に誕生することとなる。

もっともインターネット以前のパソコン通信から同様のものは存在したと考えられるが、より一般化したのはADSLによって常時接続でインターネットを利用できるようになった2000年近辺であろう。

同時期に金銭の授受を目的とした出会い系サイトも急増し、2008年にはいわゆる「出会い系サイト規制法」の施行によってブームは鎮静化する。

同じ2000年くらいには出会い系カフェが誕生し、2010年に風営法の規制対象とする方針が固まる。
ハプニングバーと出会いカフェを統合したような「逆ナンパ喫茶」という形態もこの期間には存在していたようである。

このようなインターネットの普及や規制環境のなかで、変態バーと呼ばれる形態のお店は1990年代から存在していたものと考えられる。
リストの最初に記載されている「グレイホール」というが元祖であると見方が有力である。

変態バーは嗜好性が強いものの、カップル喫茶とは違い男性が単独で入店することが可能であり、カプセル喫茶と併せてハプバーの源流である。

「Club Momo」や「マーキス東京」も変態バーであり、後者は現在も営業している。
ここではカップル喫茶が登場する1993年からハプニングバーが登場する2000年までを「プレハプバー期」と呼ぶことにしたい。

ハプバー期について

2000年に日本初となるハプニングバーの「グランブルー」がオープンする。
以下のコラムでも開設したが、カップル喫茶「オリーブ」(現在のオリーブ21とは別店舗)のオーナーが同店を立ち上げて、ハプニングバーという言葉を採用したようだ。

同店は2006年まで営業を続けるが、この間はカップル喫茶とハプニングバーの関係を巡る縮図のような現象が起こる。2001年には同ビルにカップル喫茶をオープンするが、最終的にはハプニングバーの同店と統合されるからである。
このように2000年から2006年にかけては、ハプニングバーが隆盛しカップル喫茶を侵食する事態が業界全体で進行する。
なお、2002年には六本木店をオープンするが、このお店が2006年に摘発され、新宿店もクローズする。

しかし、元祖ハプニングバーの「グランブルー」がクローズする2006年には、次世代にバトンを渡すかのように渋谷で「眠れる森の美女」がオープンし、2022年に摘発されるまではハプニングバーのシンボルとして存在感を示した。
後継となる「ロシナンテ」は、ハプニングバーではなく、バーとレンタルルームを併設した形態となり、ハプニングバーの終焉を印象付けた。

【ハプバー考古学 #02】ハプニングバーの創世記(プレハプバー~第1世代)

同店は2006年まで営業を続けるが、この間はカップル喫茶とハプニングバーの関係を巡る縮図のような現象が起こる。2001年には同ビルにカップル喫茶をオープンするが、最終的にはハプニングバーの同店と統合されるからである。
このように2000年から2006年にかけては、ハプニングバーが隆盛しカップル喫茶を侵食する事態が業界全体で進行する。
なお、2002年には六本木店をオープンするが、このお店が2006年に摘発され、新宿店もクローズする。

しかし、元祖ハプニングバーの「グランブルー」がクローズする2006年には、次世代にバトンを渡すかのように渋谷で「眠れる森の美女」がオープンし、2022年に摘発されるまではハプニングバーのシンボルとして存在感を示した。

【ハプバー摘発の歴史】おでんくん、SB摘発を間一髪で逃れる


後継となる「ロシナンテ」は、ハプニングバーではなく、バーとレンタルルームを併設した形態となり、ハプニングバーの終焉を印象付けた。

【新しい冒険】渋谷SB、ロシナンテとして復活
【再開と再会】渋谷ロシナンテ、奇跡の復活と三店方式

ここでは元祖ハプニングバー「グランブルー」が登場する2000年からハプニングバーのシンボルであった「眠れる森の美女」が摘発される2022年までを「ハプバー期」と呼ぶことにしたい。

ポストハプバー期について

「眠れる森の美女」が摘発された2022年から現在までを「ポストハプバー期」と呼ぶことにしたい。
もっとも、2020年に「ノンハプバーもぐら」がオープンし話題になったことを契機に、元スタッフなどの関係者により「界隈バー」と呼ばれる非ハプニングバーが多数オープンし、今も界隈バーブームともいえる様相をしていることから、「眠れる森の美女」の摘発より前には、ハプニングバーを巡る環境が大幅に変化し始めたと考えるのが妥当だ。

2022年には錦糸町で「ノーダウト」が非ハプバー化し、「アフロディーテ」はクローズして、跡地には「ノンハプバーもぐら」が移転。スペースを拡大してのリニューアルとなった。

【錦糸町ショック】ノーダウト、7月末にアフロディーテと同時閉店
【シン・もぐら】夢の続き

また、交流を広げたり、情報収集するためにTwitterでハプバーアカウントを作ることも一般化し、その実態はコラムでも取り上げさせていただいた。

【ポストハプバー】「連れ出し」から「連れ込み」の時代へ

同時にTwitterでのオフ会活動によるリスクも過去の事例をもとに紹介した。

【事例演習】ハプ垢男子と界隈追放リスク ~店内オフ会

このような状況のなかで、SNSを積極的に活用する新たな動きもみられた。
2022年にオープンした「ハーネス東京」が、毎週でのスペース配信を始めたのである。
文頭で記したように僭越ながら私も登壇させていただいた。

このようにポストハプバーを巡る状況は現在進行中であり、どのようなお店が現れて、どのような戦略を展開するかは予測不能である。

今後も界隈バーの状況を含め最新の動向はコラムやスペースで紹介していきたい。

【了】

【更新履歴】
2022/08/28公開
2022/09/19新サイトへ転載

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