およそ10年ぶりの完全な新店
渋谷に新しいお店ができるという報を受けた。
渋谷において、もともと同種の業態があった場所ではなく、新しいところに出店するという意味では、2011年のDesireオープン以来となる、およそ10年ぶりの新しいハプニングバーだ。
意外に思われるかもしれないが、目まぐるしく様相を変える錦糸町とは対称的なのが、ハプニング全史の地域史シリーズ5回目として今回取り上げる渋谷である。
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【錦糸町】変態バーから大箱SMバーまでの20年史
ところで渋谷という場所は、アングラ界隈においてどのようなポジションであるのか?
まず新宿は、ハプニングバー誕生の地であるとともに、美女と野獣(六本木からの移転し2004年オープン)、伝導師(2005年オープン)、リトリート(2009年オープン)などの有名店が所在するなど、一貫してメッカの地位にある。
そしてメッカ新宿に次ぐエリアは、かつては池袋と六本木であり、現在は錦糸町、上野の順で「遷都」している。
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【秘史解禁】上野のアングラ全史
このような中で、渋谷に与えられたポジションは実に微妙である。
若者が多い人気エリアであるにも関わらず、いわゆるアングラ店はさほど多くないからだ。
本稿の目的は、そのような渋谷の立ち位置について出店の歴史を辿ることで明らかにしていきたい。
渋谷の店舗一覧


本節では上記に示した店舗一覧をベースに、渋谷のアングラカルチャーの歴史を紐解いていきたい。
1993年に大阪の鶴橋で誕生したカップル喫茶が東京に進出したのが1994年。
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【ハプニング全史】カップル喫茶の受難史
新宿に初めてハプニングバーが誕生したのが2000年であることを考えると、渋谷アングラ史は2000年から始まり、スロースタートである。
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【ハプバー考古学#03】Le Grand Bleu 〜深く潜る
2000年にカップル喫茶のWaikiki、パロディ(恵比寿)がオープンし、2001年にはカップル喫茶のスマイル、Deisire、そして、現在の活動するサークルとしてバニラが営業を開始している。
渋谷初のハプニングバーは2002年オープンの淫閣である。その後はカップル喫茶やハプニングバーが数店舗開業するが、大きな節目になったのは、2006年の眠れる森の美女のオープンであろう。同店はハプニングバーの代名詞とでも呼べるほどの人気を獲得し、2022年まで渋谷のアングラカルチャーをけん引した。
続く、2007年には小箱ハプニングバーとしてサイレントムーンがオープンしている。その後の目立った動きとしては、2011年にSMをコンセプトしたハプニングバーとして、Desireがオープンしていることも忘れてはならないだろう。(同店は店名を変えて、2019年にはSMバーとなり、2020年まで営業を続けている)
もっとも同エリアではハプニングバーの新規出店は伸びずに、眠れる森の美女の一強体制が継続していたと考えてよいだろう。
そして今年2022年に眠れる森の美女がクローズし、同店跡地にロシナンテがオープンしたのは記憶に新しいところである。
直近の動向としては、前節でも取り上げたように、11下旬に完全新店舗のミルフォイユがオープンを控えており、ここまでが渋谷のアングラ界隈を巡る歴史の概要だ。
今や老舗となった小箱のサイレントムーンはあるものの、「渋谷=SB」という図式が、2010年代からつい最近までのパブリックイメージではないだろうか。
知名度や集客力の観点でいえば、渋谷は眠れる森の美女の圧倒的な独り勝ちであったと結論づけることができるだろう。
クラブカルチャー中心地としての渋谷
渋谷のアングラカルチャー史は、前節で取り上げたシンプルなヒストリーであるのか?
答えはノーである。
1994年には、フェティッシュイベントのデパートメントHがクラブ丸山で始まり、2004年まではOn Air Westで開催されていた(On Air Westが条例によって使用できなくなってからは、一時期、名称を変更しで青山CAYでイベントを開催していたという情報もある。初期のアングライベントとクラブとの親和性を認識させるエピソードである)からである。(現在は鶯谷のキネマ俱楽部で開催)
以前コラムでも記したが、「ハプニング」という言葉は、もともと前衛芸術の概念であったが、その後は、テレビ番組のタイトルに使われるなどして流行語にもなるなど、アートの文脈とは無関係に使われ、2000年にハプニングバーという言葉が発明されたのである。
しかし実のところ、前衛芸術としての「ハプニング」は、演劇や音楽などの文化と地下茎で繋がり、1990年代には渋谷のクラブカルチャーとの接続していた。
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【はじまりの記憶】ハプニングの起源について
より具体的には、日本においては1960年代の草月会館で現代美術表現としてハプニングが行われ、1980年代に入ってからは、西麻布の小劇場、クラブカルチャーなどにも、そのアンダーグラウンドがコンセプトが受け継がれ、1990年代に入り渋谷でクラブカルチャーが花開いてからは、アングライベントとクラブカルチャーと結びつくのである。
デパートメントHがクラブから始まったのはそのことを象徴しているし、2006年オープン当初、眠れる森の美女に来店した人も「クラブのようであった」と証言する。
このように渋谷のアングラカルチャーはクラブカルチャーと密接に関連しながら発展していったのである。
2022年、渋谷は生まれ変わる
クラブカルチャーと共に発展していった渋谷のアングラカルチャーも2022年に曲がり角を迎える。
眠れる森の美女がクローズしたからだ。
偶然ではあるが、再開発の影響でVisionやContactも営業を終える。
街自体がイベントのような渋谷という街が、コロナにより大きな制約を受ければ、どのようなことになるのかは想像に難くないだろう。この3年で渋谷は人々の記憶から遠ざかってしまったように思う。それは眠れる森の美女とて例外ではないはずだ。
いま渋谷は新しく生まれ変わろうとしている。
眠れる森の美女の跡地はロシナンテになった。
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【新しい冒険】渋谷SB、ロシナンテとして復活
Youtubeのコラボ企画で店を紹介するなど新しい試みにもチャレンジしている。
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【最強単男説】渋谷ロシナンテ、しみけんチャンネルで店内公開
そして、完全な新店舗としては10年ぶりになるミルフォイユが11月下旬にオープンする。
街が停滞すれば文化も停滞する。
渋谷に新しい風が吹くことを期待したい。【了】
【更新履歴】
2022/11/09公開
2022/11/10追記