【必読】「しっとり系」をコラムにしない理由

2024-03-19

序論(2024/03/19追記)

このテクストで適用される「しっとり系」と「わいわい系」の定義について、明らかになっていないことから、これを序論に加えたい。

もっとも「しっとり系」と「わいわい系」について、明確な定義は存在しないので、そのような区分に至った経緯を概説することで、本稿での立場を明確化することを序論の目的とする。

「しっとり系」と「わいわい系」は隠語であったように考えられる。というのも、当時は正反対とも言えるポリシーで運用される人気の大箱が二つあり、それぞれに表向きはグループでないという体裁が意識しながらも、店名を引用し、◯◯系列、◯◯系列と呼称していたのである。

その2大グループの他は、界隈黎明期からの老舗店、そして独立系の新興店が存在するという状況であった。

SNSでアンダーグラウンドが語られることが一般化し、便宜上、しっとり系、わいわい系と呼ぶようになったことや、一方のグループが規模を縮小し、最終的に消滅したことから、現在の区分法や呼称に至っている。

したがって、厳密に考えた場合、現在のお店のほとんどは、本来のしっとり系を除けば、わいわい系でもしっとり系でもない。かつてのわいわい系の影響を受けたお店がごく少数あるだけで、その他の店舗は独自スタンスである。つまり店の雰囲気が落ち着いているかどうかで、なんとなく区分されているに過ぎないのだ。

このような経緯を踏まえ、本稿では狭義でのしっとり系を想定し論述している。

弁明として、あるいは試論として

今回のコラムは、ある種の弁明としてテクストを綴る。

それは特定のお店だけ、恣意的にコラムで取り上げていないのではないかという、至極真っ当な疑問に対する応答である。

いわゆる「しっとり系」と呼称されるお店がそれだ。

その疑念について結論をいえば、それらのお店はSNSを運用していないので、コラムで取り上げることは適切ではないと判断したからに過ぎない。

決してしっとり系をアンダーグラウンドの範疇として認めていないという理由ではない。

むしろ取り上げる機会こそないものの、アンダーグラウンドとして極めて高く評価しているのである。

実際に対極的なスタンスにある「わいわい系」の関係者が、「もしお客であるなら、しっとり系にいく」という本音を漏らすのを目の当たりにしたこともあるし、私もその意見には納得している。

なぜだろうか。

それはSNSの普及によってアンダーグラウンドが一般化したことにより、新しいお店を中心に「稼働率」が致命的に低下したからである。

以前であれば、男女比率が店の状況を示す指標であったが、現在は稼働率がそれに取って代わっているのだ。

「昨日は稼働したか?」というようなやりとりが、常連同士でなされることも多い。

つまり、稼働することが自明の時代であれば、男女比率だけが問題であったが、いまは稼働しているかどうかこそが重要なのである。

そして一部ではあるが、まったく何も起こらないお店も出てきたのだ。そのようなお店はネットで悪評が広がり、一年足らずでクローズに追い込まれていったのである。

さらに踏み込んでいえば、老舗の既存店であっても、何も起こらないがゆえに、金銭トラブルのクレームに発展し、最終的に店が厳しい立場に追い込まれるという事態にまで発生している。皮肉と言う他ない。

これらのクレームの多くは、店内に女性が多いことをSNSで喧伝し、これに誘導された客が来店したタイミングでは、既に女性が退店しているような場合に起こっているようだ。

かつて男女比率のような店内情報をSNSで告知する店舗はなかったが、現在では競合店も多いため、店の営業状況が芳しくなければ、このようなプロモーションもやむを得ないだろう。

もっとも、お客の視点に立って考えてみても、2万円近い料金を支払ったにも関わらず、店内が期待するような状況と著しくかけ離れているのであれば、トラブルになるのは無理もない。

なぜ全く何も起こらない店が増えていったのだろうか?

答えはあまりにシンプルだ。アンダーグラウンドに対する過度な期待感を捨てて、冷静に考えてみれば誰にでも分かるだろう。

何となくSNSで興味をもった、見ず知らずの人たちが同じ空間に集まったところで、そこはアンダーグラウンドにはならないのである。

アンダーグラウンドをアンダーグラウンドとして成立させるには、特別な「何か」が必要なのだ。

その点、稼働させることを前提にノウハウを積み上げて、店のシステムを構築していった、しっとり系の強さは否定しようがない事実である。

しっとり系の強さを言い換えるとすれば、それは稼働率/価格の比率が適正な水準に保たれているということだ。

ところで、かつて渋谷に存在した有名店のように、大箱のわいわい系が都心にオープンすることを望む声は今も大きい。

しかしそれはもはや現実的ではないように思える。レギュレーションの問題は別として、件の有名店と同水準の高価格であったとしたら、今の状況であれば、稼働率/価格に不均衡が生じる可能性が高いからだ。

別のコラムで紹介したが、90年代のアングラから、私たちの感性は大きく離れたところにいる。

重要な証言を改めて引用しよう。

90年代まではノンケの界隈にもハッテン場の施設が東京にありました。僕が通っていた新宿の店では20くらいの個室ブースがあって、男も女もカップルも待機できました。掲示板に自分のポラを張って自己紹介を書き込めました。「この3番の女が良いな」とか「このカップルが良いかな」と選んで、個室をノックして入り、後はなんでもアリでした。

https://realsound.jp/book/2021/11/post-889298.html

逆ナンパ喫茶という形態ではあるが、当時のアンダーグラウンドは、今では想像できないような熱気に包まれていたのである。

そのような時代の雰囲気を前提として、わいわい系のお店が成立していたのだ。

もっともわいわい系ではないが、ラグジュアリーな内装にこだわったり、厳選したスタッフを採用するなどの差別化によって、新しいお店に起こりがちな価格から生じる不均衡を乗り越え、好調に集客力を伸ばしている店もある。

それでは、資本力のない店に未来はないのだろうか?

そうではない。稼働率/価格の不均衡を是正する術は、他にも残されていたのである。それは店をコンパクトにして、スタッフが店の雰囲気をコントロールし、価格水準を引き下げるという大胆なアプローチである。

今のところ前評判が高いようであるが、そのお店が成功するかどうかに界隈の関心が集まっているのである。

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