ヒンヒンに冷えたビール
「ヒンヒンに冷えたビールを飲みたいですね。」
奇妙な符牒と共にそれは始まった。
相葉たつや、ハップマン、ハプガチ!の3人で8月15日に行われたスペース配信のことである。
配信は前回と同様に事前告知なしで行われた。
【事後回想録】相葉 x ハップ x ハプガチの緊急スペースというハプニング | Tips
今から一週間ほど前の5月20日。Twitterでハプニングが起こった。相葉たつや x ハップマン x ハプガチ!による緊急スペースがそれである。事前予告もなく、金曜日の17時という早い時間であるにもかかわらず、30人ほどのリスナーが集まる中、3人のハプバートークが行われたのである。意外な組み合わせに動揺された方も多いの...
いつ始まるのか
いつ終わるのか
それは当人にすら分からない。
偶然性と一回性を貴ぶ空間に永らく愛を傾けてきた3人であれば、このようなスタイルでの配信は当然であるのかもしれない。
はっきり言えるのは、今回も50人を超えるリスナーが、3人と共にハプニングに巻き込まれたということである。
タブーを破る
スペースという仮想空間であっても、そこで起こった事は、実際の店での出来事と同様に秘匿するのが美徳であるように思う。
しかし、今回はあえてそのタブーを犯そうと思う。
なぜだろうか?
それは相葉さんが年内でのレギュラーイベント終了を発表したことに起因する。
今回のスペースでの私の目的は、そのような相葉さんの心境を聞き出すことにあった。
もっとも記録は取っておらず記憶だけが頼りなので、私の願望を投影したイマジナリーなストーリーであるかもしれない。
そうであっても、一年にわたり界隈を盛り上げるために頑張ってきた相葉さんの心境をコラムで取り上げることが必要であると感じたのである。
相葉たつやの1年
現状の界隈に一石を投じるべく、1年前に相葉さんは新宿440でイベントを始めた。
10月にはイベントに専念すべくプレイヤーとしての引退式を行った。
同月には錦糸町アフロディーテ(7月末でクローズ)でも恒例となるイベントも開始した。
さらに翌年1月には上野パピヨンでも定期イベントを立ち上げた。
そして、9月10日にはイベンター1周年イベントが開催される。
この間、もぐらの月曜日・金曜日のスタッフを務めながら、各種イベントのプロデュースも行っているのだ。
このようにほとんど界隈漬けと言ってもよい日常を過ごしてきたのである。
界隈の現状をどう見るか?
そのような相葉さんは界隈をどう見ているだろうか?
スペースの冒頭で最近の界隈について話題になった。
ハップマンはTwitterでの待ち合わせが横行しているため盛り上がっていないと一刀両断であった。
私は新店もオープンしているし、一部の店舗は盛況である旨の現状認識を示した。
相葉さんはどうであろうか?
1万人以上のフォロワーを抱え、イベントを企画する立場からの配慮であろうか。
フォロワー50人程度のハップマンのように歯切れのよい反応はない。
しかし、現状に対して納得のいかない雰囲気は伝わってくる。
そのような想いが1年間での活動の原動力であったように思えるし、9月10日のイベントはその集大成になるだろうと考えられる。
かつての光
続いて、「なぜ1年で辞めてしまうのか?」という質問を投げかけた。
そうすると、「マンネリ化してしまう」というような趣旨の答えが返ってきた。
冒頭に記したように、相葉さんは偶然性と一回性による奇跡に身を捧げてきたのである。
そう考えると、イベントが定例化し、プロセスではなく、結果だけを期待するような人たちが集まれば、当初の意に反して、必然性と反復性が空間を支配するようになる。
そのような場所にかつての光はないと直感し、レギュラーイベントの期間を1年としていたように私には思えるのだ。
話は脇に道に逸れるが、ハップマンと相葉さんの話はいつもかみ合わない。
それはフォロワー50人で自由に発言できるハップマンと、1万人以上のフォロワーを持つ相葉さんとでは影響力や責任があまりにも異なるからだ。
しかし、昔の話になったときだけは盛り上がる。
かつて同じ空間、同じ時間、同じ感情を共有し、アンダーグラウンドな祝祭の中で、同じ光を浴びた仲間としての連帯感が会話から立ち上がってくるのである。
その瞬間に立ち会うのは、私にとっては至福の時だ。
界隈ルネサンス
実のところ、コラム開始当初、相葉さんを取り上げようと原稿を用意していた。
そこでは相葉さんは界隈の再興を目指す、ルネサンスのような活動をしていると叙述した。
にもかかわらず、そのコラムは公表しなかった。
なぜだろうか?
分かりやすい言葉にすると、雰囲気に水を差してしまうような気がしたからである。
ルネサンス
ルネサンス Renaissance という語は「再生」(re- 再び + naissance 誕生)を意味するフランス語で、19世紀のフランスの歴史家ミシュレが『フランス史』第7巻(1855年)に‘Renaissance’という標題を付け、初めて学問的に使用した。続くスイスのヤーコプ・ブルクハルトによる『イタリア・ルネサンスの文化』Die Kultur der Renaissance in Italien(1860年)によって、決定的に認知されるようになった概念である。
Wikipedia 最終更新 2022年7月30日 (土) 05:55
私は相葉さんをこのような人だと理解している。
物事を論理や言葉ではなく、感性でとらえて、現実の空間において、それを身体で表現する人物である、と。
何かを言葉で定義することで、感性が閉じてしまうことを嫌うのである。
そうであるから、今回のスペースも突発的に始まるし、相葉プロデュースのイベントがいつ最後になるのかも言及しない。
私もコラムで積極的に取り上げることを控えてきた。
シャンパン無用・キャスドリ無用
相葉さんは物質や言語に還元できない体験や身体性を我々に要求しているように思える。
その姿勢は連日で行われる誕生日イベントで露わになる。
キャスドリもボトルも不要であると断言したのだ。
そして「会いにきて体にサインしてくださいね」と不思議なメッセージを残す。
それが具体的に何を意味するのかは当然語られることはない。
ヒンヒンふたたび
50人ほどのリスナーのなかで会話を繰り広げていると、気がつけば、相葉さんがもぐらのカウンターに立つ時間になっていた。あっという間の1時間であった。
その日は今年中で一番の暑さであったように思う。
正直に告白すればスペースでの会話はほとんど記憶していない。
残ったものは、スペース後に飲んだヒンヒンに冷えたビールの美味しさだけである。
そうであってもいいと思えるようなひと時であった。
【了】
【更新履歴】
2022/08/19公開
2022/09/11新サイト転載