【ハプバー考古学 #01】ハプニング・バーの古層を辿る

2022-06-25

「ほんとうのハプバー」を求めて

冒頭の引用は『銀河鉄道の夜』のあまりにも有名な一節だ。

なぜ『銀河鉄道の夜』なのか?
なぜ宮沢賢治なのか?

その理由を説明するのには、ほんの少しだけ時間を遡る必要がある。
それはコラムを執筆していたときのことだ。
不意に「ほんとうのハプバー」という言葉が頭によぎり、何かに使えると思い、メモに書き留めておいたのである。

その言葉が、『銀河鉄道の夜』に出てくる「ほんとうのさいわい」から、着想を得たものであることに気づくのには、さほど時間を要さなかったと思う。
つぎのコラムは、『銀河鉄道の夜』の引用で始めようと決めたのも、そのときだった。

以前からコラムに書いているように、現在のハプバーは、かつての姿から大幅に変容している。
そのような感傷に耽るにつれ、「ほんとうのハプバーとは何か?」という命題について、思案に暮れざるを得なかった。

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そして、コラムを執筆しながら、ハプバーについて、あれこれ思いを巡らせていると、ふとした瞬間に気付けば「ほんとうのハプバー」を探す旅の列車に乗っていたのだ。
銀河鉄道のジョパンニとカムパネルラのように…

「けれどもほんとうのハプバーは一体何だろう。」
ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」
カムパネルラがぼんやり云いました。

あてのない旅はそのようにして始まった。

丸山眞男とむかしのハプバー論

解説をするまでもないが、「ほんとうのハプバー」とは、本来あるべきハプバーを言い表した言葉である。
「ほんとうのハプバー」という言葉を目の前にした私は、何かにすがるように、「かつてのハプバーは、ハプバーとして有るべき姿を兼ね備えていた」と、根拠なしに希望的に考えてみることにした。
所謂「むかしのハプバー」である。

しかし、理想像としての「むかしのハプバー」なるものが実在したか、本当のところは分からない。一方で、「むかしのハプバー」なるものが、お店やTwitterなどで語られているのも事実だ。

そうであれば、理想像としての「むかしのハプバー」なるものがあったと仮定して、以前のハプバーの実態を調査すれば、「ほんとうのハプバー」の実像に迫れるのではないか。

具体的な調査の対象は、SBやリトリート以前に存在したハプバーに関する記憶である。政治学者の丸山眞男に倣い、私はそれをハプバーの古層と名付けた。

ハプバーの古層を辿ることで、現在のハプバーの問題点を浮かび上がらせることができないか。
そして、それをコラムとして文章に残すことで、読者の意識を喚起することはできないか。

このような思いに至ったのである。

もちろん、店のルーツを探ることが時としてセンシティブな問題を孕むことは承知している。それは複雑な人間関係に踏み込まざるを得ないからだ。
しかし、10年以上前の現存しない店を対象としているので、一旦、このような心配は無用ではないか。

フラグメントとしてのハプバー起源論(私論)

さて、私の知るハプバーの起源は以下のとおりだ。もっとも、これらは今までに色々な店で聞いた情報の断片を繋ぎ合わせたものに過ぎず、それらを統合する作業が、今回のコラムの目的でもある。
大袈裟にいえば、歴史学者や考古学者の発掘調査のような壮大なプロジェクトだ。

さて、前置きが長くなってしまったが、断片としての私のハプバー起源論を紹介したい。まず起源論には2つの節が存在すると考えている。
1つは当初はハプニング・バーという言葉は存在せず、変態バーと呼ばれていたものが、ハプバーに発展したという説。
もう1つはカップル喫茶がハプバーに進化したという説である。
変態バー起源説、カップル喫茶起源説、そのどちらが正しいか分からないが、この2つを人づてに聞いたことがあり、それがハプバーの起源に関する私の基本的な見解だ。

続いて、具体的な店舗に関する考察に入ろう。本格的なハプバーとして、グランブルーがあり、「鍵」というハプバーの全国グループも存在していたようである。

そこから時間は空くかもしれないが、伝道師やBBというお店が、SBやリトリートの前に存在していたということも、やはり伝聞の形式であるが認識している。

そのうえで、これらのお店では、今よりもはるかに活発にお客さんが遊んだいたようである。この部分がハプバーの古層を辿っていくうえで、もっとも中核となる内容であろう。

そうなると、今回の調査対象は、リトリートとSB以前のお店とするのが適切であろう。つまり、時代区分をSB・リトリート以前と以降に分けて、前者を調査の対象にするということだ。今から10数年前の出来事を中心に取り扱うことになる。

また、当時のハプバーというのは、値段が今より高かったということと、限られた人たちの遊びであったようでもある。

さらに、どの店でもハプニングが多かったわけではなく、言葉を選ばずに表現すれば、単女のレベルも低く、ハプニングがほとんど起こらない店もあったようだ。(今と同じように、様々な態様の店舗が存在していたようだ)

ハップマン氏のハプバー起源を巡る記憶

このような私の認識が正しいかどうか、コラムの掲載許可と併せて、さらなる調査のためにハップマン氏にヒアリングを行った。
(この時点ではアカウントは凍結されていなかった)

ハップマン氏の見解は以下のようなものだ

まずは変態バーがあり、ハプバーは変態バーの廉価版とでもいうべき、一般向けになった業態であるという。そして、カップル喫茶はそれとは別に発生したものだというのだ。

つまり、順番としては、変態バーがあり、カップル用にカップル喫茶が生まれその頃と前後して、変態バーはハプバーに名前が変わったということのようである。

このように、ハップマン氏は変態バー起源説を唱えているのだ。

そして、ハプバーの文化はマーキス東京のあった1997年よりも前から存在していたとのことである。

まとめると、ハプバーの起源は変態バーであり、そのカルチャーは1997年より前からあったということだ。

ここまでがハップ氏の見解である。しかし、そうであったとしても、いくつかの課題が残る。

  1. 最初の変態バーはいつ出来たのか、何というお店か
  2. 変態バーがハプバーと呼ばれたのはいつか
  3. SBやリトリートが出来るまで、どのような店があったか

この点が、ハプバー黎明期の90年代後半から、SBがオープンする2006年、もしくはリトリートがオープンした2010年までの間のミッシングリンクとして、残っているのである。

このミッシングリンクの解明は、今後の調査のメインテーマになっていくことだろう。

ハプバー考古学という企て

最後になるが、今回のコラムは、ハプバーの古層を明らかにするうえでの調査の始まりに過ぎない。今後も当時通っていた人から、何らかの情報が得られ次第、調査結果を報告していこうと思う。

最近になり、Twitterで「むかしのハプバー」というワードをよく目にするが、その実態を明らかにし、文章として後世に受け継いでいくのが、今回のプロジェクトの趣旨だ。

ついては、どのようなことでもいいので、SB・リトリート以前の昔のハプバーについての情報をDMで提供頂ければと考えている次第である。(特に欲しいのは何年から何年まで、どの店があったというファクトである)

どうかご協力のほど、宜しくお願い致します。

「ほんとうのハプバー」を巡る旅の列車は始発駅から動き出したばかりだ。

【了】

【更新履歴】
2022/06/25 公開

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