前回のおさらい
続編を執筆するにあたり、まずは前回コラムの内容を確認しておきたい。
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スペース「ハプニング全史」の配信と「全店舗リスト」の公開について
「ハプニング全史」と題した前回のコラムでは、ハプニンブバーとカップル喫茶の歴史を概観し、時代区分を以下のように設定した。
- プレハプバー期(1993年~2000年)
- ハプバー期(2000年~2022年)
- ポストハプバー期(2022年~)
具体的には、最初に「ハプニンブバー」という言葉を呼称した「グランブルー」のオープンした2000年を起点にして、それ以前を「プレハプバー期」、渋谷「眠れる森の美女」がクローズし「ハプバー期」が終焉する2022年以降を「ポストハプバー期」と定義したのである。
今回はプレハプバー期に焦点を絞り論考を展開してきたい。
1993年の大阪で
意外に思われるかもしれないがカップル喫茶は大阪で誕生した。
1993年に鶴橋でオープンした「ワクワクドキドキ」である。
確認できる限りでは、1994年に「Fortune」というお店が池袋にオープンしていることから、瞬く間にブームとなり、大阪で生まれたカップル喫茶が東京に進出した当時の様子が伺える。
Webに情報が残っていないので90年代の状況は、把握できないが、都内に限定し2000年から現在まで店舗数を分析すると、2002年と2003年に24店舗とピークに達して以降は、2010年にかけて急速に減少する。その後も退潮傾向が続き、2017年以降は2店舗となっている。

本稿では、カップル喫茶が衰退した原因の究明にテーマを絞って、私なりの仮説を展開することとしたい。
2004年の事件
まずカップル喫茶が2004年を境目に凋落した理由を述べようと思う。
それはハプニンブバーが摘発されて、初めてニュースになったことが原因であると推測する。
各店舗の営業期間を以下のような図として示したので、これを参照しながら詳細を解説していきたい。

2000年から2003年にかけての出店数が多さが顕著である。
2000年はブロードバンドサービス開始により、インターネットの常時接続が普及し始めた年だ。
手軽にインターネットが使えることにより、今まではプロモーションの手段が雑誌に限られていたが、Webを宣伝媒体にできるようになったことで、カップル喫茶の存在が一般化し、店舗の大幅な増加に寄与したものと考えられる。
2001年は2000年の出店ラッシュの反動からか新店オープンが伸び悩むが、2002年と2003年は再び増加し、都内の店舗数がピークに達する。
しかし、2004年以降は現状を続ける。
2004年に何があったのだろうか?
六本木のハプニンブバーで有名AV男優が逮捕されるという事件が起こったのである。
ハプニンブバー自体は2002年近辺からフランチャイズグループなども出現し勢力を拡大するが、2004年のニュースをきっかけにその存在が世間で話題になることによって、皮肉にもさらに勢いが加速することになる。
一方のカップル喫茶は衰退する。
なぜだろうか?
「摘発のリスクと収益」が見合わなくなってきたからだと私は考える。
カップル喫茶の客単価はペアで5,000円程度であるが、ハプニンブバーの客単価はだいたい1万5000円であり高額だ。
このように収益力が大幅に異なるなかで、カップル喫茶もハプニングバーも、同様の摘発リスクが顕在化したのである。
カップル喫茶が割に合わなくなってきたと考えるのが自然であろう。
趣味を兼ねてお店を開くような業態ではなくなってしまったのである。
結果として、収益性や話題性から、ハプニンブバーが伸びる一方、摘発を恐れてカップル喫茶の新規オープンが途絶えていったと考えることができる。
そのため一部の既存店は2010年くらいまで続くが、それらのお店が閉店して以降は自然減となり、2017年以降は2店舗となる。
ハプニングバーとの相性
当初の論考では、2000年以降、ハプニングバーによってカップル喫茶が侵食されて衰退の一途を辿ったものとしていたが、この主張は改める必要がある。
カップル喫茶が衰退した原因は、先述のとおり2004年の規制によって、営業することに割が合わなくなったので、カップル喫茶の新規出店がなくなったからだ。
元々、カップル喫茶とハプニングバーは異なるものであり、客同士の相性も良くない。
実際のところ、カップル喫茶とハプニングバーを併設してから店舗もあったが、両方ともクローズしたり、ハプニングバーに統合されている。
したがってカップル喫茶の客がハプニングバーに移行したわけではないと考えられる。
カップル喫茶の実像
ところでカップル喫茶とはどのようなお店なのか?
その実像に迫っていきたい。
まずカップル喫茶とは、カップルしか入店できないハプニングバーではない。
どのような遊び方であったかを当時通っていた人へのヒアリングによって明らかにしたので、その情報を頼りに解説していきたい。
ます遊び方は
- 相互鑑賞
- スワップ
の2つに区分されるが、相互鑑賞が主流であったようだ、
店の構造は
- ボックス型
- オープン型
に区分されるが、どちらが主流であったとも言えないようだ。
ちなみにボックスというのは開閉可能な小窓のついた簡易的な個室のようなものである。
なぜ相互鑑賞か
ここにおいて、われわれの前に一つの疑問が提示されていることに気づく。
なぜスワップではなく、相互鑑賞なのか?
その謎を紐解くにはカップル喫茶の誕生前に遡ってみる必要がある。
実はカップル喫茶に類似した業態として、スワップクラブというものがあった。
かつては、パートナーを交換して遊ぶことを「夫婦交際」と呼んでおり、専門誌やサークル、そして上に挙げた、スワップクラブという形態の店舗があったのだ。
目黒には「オセロ」という1980年オープンの老舗があり、2010年代までは営業していたようである。
またネットが普及し始めた2000年前半はスワップのサークル募集のWebサイトなども散見される。
現在では実店舗としてのスワップクラブは存在しないものの、カップル喫茶に集約されていったことも考えられるが、ネットでパートナーやサークルを見つけるなど、アンダーグラウンドに活動の軸足が移ったものと考えられる。
つまりスワップが店舗で出来ることはカップル喫茶の新しさではない。
ではカップル喫茶の新しさとは何か?
カップルが刺激を求めるために、手軽に相互鑑賞をできるという点ではないだろうか。
店名も1993年の元祖カップルが「ワクワクドキドキ」、同年横浜に出来たお店が「ウキウキウォッチング」と、相互鑑賞がメインであることを示している。
従来は相互鑑賞の刺激を求めるのであれば、
- その手の遊びで有名な公園に夜間帯に行く
- 面接があったり、入会金が高価で敷居の高いスワップサークルや店舗に行く
などの手段しかなかったことを考えると、カップル喫茶の敷居の低さは魅力的である。
絶滅危惧種としてのカップル喫茶民
しかし、相互鑑賞やスワップを楽しめる店は、今となってはほとんどない。
ここで都内のカップル喫茶を一覧化したリストを提示したい。
あたかもそれは、絶滅する恐れのある野生動物を列挙したレッドリストのようである。






カップル喫茶と聖地巡礼
カバーの写真は嘆きの壁である。
嘆きの壁とは、今のイスラエルにあったエルサレム神殿の外壁の一部で、ユダヤ教において、最も神聖でシンボリックな建造物だ。
20年以上も営業を続ける2つのカップル喫茶は、嘆きの壁のようでもある。
嘆きの壁から在りし日のエルサレム神殿を想像しがたいいように、残された2店舗だけでは、かつてカップル喫茶の全容を伺い知ることはできない。
しかしながら、1993年に大阪でカップル喫茶が生まれ、いま東京に残された店はそれしかないのである。都内のカップル喫茶はお店に通う姿は、聖地巡礼のようでもある。
冒頭では、渋谷「眠れる森の美女」が摘発され、バーとレンタルルームを併設した渋谷「ロシナンテ」がオープンした2022年以降を「ポストハプバー期」であると紹介した。
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【ハプバー摘発の歴史】おでんくん、SB摘発を間一髪で逃れる
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【新しい冒険】渋谷SB、ロシナンテとして復活
もっとも、それより2年前の2020年には「ノンハプバーもぐら」がオープンし、ハプニンブバー関係者の開く「界隈バー」が出店が続いた。
東京のハプニンブバーもこのままではかつての姿がなくなり、地方や郊外のお店に巡礼するほかなくなってしまうのではないか。
地方や郊外のお店が話題になるたび、そうならないことを祈るのであった。
【了】
【更新履歴】
2022/09/04公開
2022/09/19新サイトへ転載