2つの訂正について(2024/3/17追記)
ノンハプバーもぐらのオープン日と所在地が、いよいよ明らかになった。
注目すべきは、ノンハプバーもぐら新宿店が、カレー屋さんの2階として知られる9259跡地にオープンすることだ。
この事実が持つ意義について考察するのに先立ち、まずは以前の執筆したコラムにある2つの記述について訂正したい。
訂正すべき記述とは、「ノンハプバーもぐらは新宿に進出するのではなく、帰還を果たす」ということ、そしてもう一つは、「1階のカレー屋さんで出勤前のスタッフと顔を合わす日々は終わっていない」という2つの事である。
まずは前者について説明を加えていくことにしよう。
Xの投稿にあるように、ノンハプバーもぐらのファウンダーは、もともと9259に通っていたのである。
そうであれば、ノンハプバーもぐらは錦糸町で成功を収めて、ついに新宿に凱旋を果たしたということである。
後述するが、この事実はアングラ史において象徴的な意味を持っていると考えられる。
ここでノンハプバーもぐらが企図したコンセプト、「ノンハプバー」について再考することとしよう。
以前にも記したとおり、ノンハプバーもぐらは、既存のハプバーとは異なった方法で、メタレベルでのハプバーを実現することによって、既存のハプバーで失われた「ハプニング」を高い次元で回復することを目的として、錦糸町にオープンした。
いくぶん抽象的な説明が先行したが、現実的なレベルで具体的に解説していくことにしよう。
それはハプバーを取り巻く状況の激的な変化によって、ハプバーから「ハプニング=偶発性」が喪失し、ここ数年でハプバーの態様が大きく変容したことに端を発している。
なぜ状況が変化したのだろうか?
それはマッチングアプリの登場、SNSの一般化と「裏垢」の台頭、レギュレーションの強化という3つの事象によるものだ。
このような環境の変化によって、ハプバーの姿は大きく変貌し、かつてのユーザーの大半は、アングラから離れていったのである。もちろんレギュレーションを回避して、SNSと一体化した日常生活の延長としての何ら偶発性のない空間を「ハプバー」として提供することも選択肢の一つではあるだろう。
しかし、そのようなハプバーのアンチテーゼとして、シニカルに自らのお店に「ノンハプバー」という名前を付けたのが、錦糸町にオープンした「ノンハプバーもぐら」なのである。
それでは「ノンハプバーもぐら」とはどのようなお店なのだろうか。
それはリーガルを完全にクリアー(回避するのではなく)にしつつ、偶発性(ハプニング)へと回帰した非日常を提供するということである。
それゆえノンハプバーもぐらは、「界隈バー」とは異なり、連絡先の交換を禁止している他、女性は実質無料、男性の定額制で飲み放題という、ハプバー由来のシステムを採用しているのだ。
日常のしがらみと隔絶された空間において、リーガルの範囲内で、相互の同意のもと、偶発性を口実に、自身の秘めたる願望を叶えることが出来る世界線ーーそれこそがノンハプバーもぐらが目指す理想郷である。
当初ノンハプバーもぐらのオープンが、アングラ界隈に与えたインパクトは大きく、先述の通り、既存のハプバーに限界を感じていたアングラ関係者が、ハプバーの雰囲気を謳った「界隈バー」と呼ばれる店を連続的にオープンするという事態にまで発展したのだ。
しかし今になってみれば、スタッフやお客の入れ替わりも多く、料金システムは一般的なバーと同じであったためか、時間が経つにつれて、普通のバーになってしまっているのが現状だ。ノンハプバーというのはジャンルではなく、ノンハプバーもぐらという店そのものなのである。
そうして、ノンハプバーというアイロニカルな名前を掲げ、もぐらは12年ぶりに、アングラ発祥の地である新宿に帰還を果たす。
訂正事項はもう一つある。
それはカレー屋の2階で物語は続いていくということである。
何とノンハプバーもぐら新宿店は、9259跡地にオープンを果たすのである。
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【もう一つのレクイエム】九二五九と10辛のアンダーグラウンド
つまり、1階のカレー屋さんで出勤前のスタッフと顔を合わせる日々は、これからも続いてくのである。
ところで、9259以前に、カレー屋さんの2階には何があったのだろうか。
以前に下記コラムで調査したところによれば、「逆ナンパ喫茶ドリーム」というアングラ店が1995年から2009年まで存在していたことが確認されている。
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スペース「ハプニング全史」の配信と「全店舗リスト」の公開について
当時は週刊誌で取り上げられるなどして話題のお店であったようだ。
https://web.archive.org/web/20060830195037fw_/http://www.deai-dream.com/what_dream.htm
どのようなお店であったのだろうか。社会学者の宮台真司氏の貴重な証言をここに引用したい。
90年代まではノンケの界隈にもハッテン場の施設が東京にありました。僕が通っていた新宿の店では20くらいの個室ブースがあって、男も女もカップルも待機できました。掲示板に自分のポラを張って自己紹介を書き込めました。「この3番の女が良いな」とか「このカップルが良いかな」と選んで、個室をノックして入り、後はなんでもアリでした。
千葉雅也×宮台真司が語る、性愛と偶然性 「そこで経験する否定性を織り込んで生きていく」|Real Sound|リアルサウンド ブック
宮台氏の言及する店が新宿ドリームであるかどうか定かではないが、90年代のアングラが途方もない熱量を帯びていた状況は理解できるだろう。宮台氏はこう続ける。
『サブカルチャー神話解体』(1993年)で書いたけれど、性愛的なコミュニケーションの享楽はまさに偶然性にあります。(・・・)90年代後半からの25年間は、統計的にも僕のリサーチから見ても、男女とも性的に退却していきました。長く一緒にいることから始まる性愛が衰退し、ナンパやテレクラが盛り上がった短期間が過ぎると、偶発性が有害だと感じられて、偶発的な出会いに心を閉ざすようになったのですね。
千葉雅也×宮台真司が語る、性愛と偶然性 「そこで経験する否定性を織り込んで生きていく」|Real Sound|リアルサウンド ブック
偶発性を享楽するような感性が失われ、性的に退却していったということなのである。
たしかに時代の要請によるレギュレーションの変化もあるが、逆ナンパ喫茶(カップル喫茶もである)は廃れ、ハプバーも渋谷SB/ロシナンテのクローズが象徴するように、アンダーグラウンドにかつてような熱量はない。
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【追悼文】渋谷ロシナンテのクローズについて
偶発性を端的にリスクとして捉えて回避するよう社会的な傾向が、その背景にあることは否めないだろう。
このようにアンダーグラウンドでは偶発性が後退する一方、計算可能性や代替可能性が前景化することとなる。
マッチングアプリの流行や、SNSでの「裏垢」の台頭がそれである。
コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを意識して合理的に立ち振る舞い、常に入れ替わりの可能な相手を追い求め続ける。
かつて、全盛期の渋谷SBのようなアンダーグラウンドで経験した者であれば、SNSというバーチャルな空間には、あの眩暈を引き起こすのような「祝祭」は存在しないと感じるであろうし、現実に彼らはアンダーグラウンドから去っていったのだ。
かくしてレギュレーションが強化されていく中、「偶発性から計算可能性」、つまり「眩暈を引き起こす祝祭的空間から損得勘定で立ち振る舞うチープな空間」へとアンダーグラウンドは変貌していったのだ。
宮台氏のいう「ノンケのハッテン場」としての逆ナンパ喫茶が90年代に始まり、00年代から20年代まではハプバーが、ブームとなり、そして現在のノンハプバーへと至るアンダーグラウンドの時系列は、偶発性の受容を巡る歴史そのものであると考えられるのである。
フォーカスをノンハプバーもぐらに戻そう。
もぐらは逆ナンパ喫茶の時代に比べれば、店内での行動は極めて制限されるが、偶発性というコンセプトは9259から引き継いでいるように考えられる。
SNSやAIで覆いつくされた私たちの世界は、グローバル化の進む金融市場の発展とリンクするかのように、アンダーグラウンドまでもが、計算可能性や代替可能性に支配されるフラットな空間となっている。
性的な多様性が尊重される時代にありながら、クローズドかつセーフティーな状況で、相互の合意のもと、多様な性的嗜好を実践できる物理的な空間は今や失われようとしているのだ。皮肉と言わざるを得ないだろう。
ところで金融市場では、正規分布のモデルでは捉えられない、予想不能かつマネジメント困難な事象を、「ファットテールリスク」と呼ぶ。
偶発性がもたらす事象は、誰にとってデメリットであるかのかどうかは一度考えてみたほうがよいだろう。
偶発性への回帰は、われわれが心の自由を取り戻すための手掛かりの一つではないかだろうか。
そのきっかけのひとつがアンダーグラウンドであっても良いだろう。
ノンハプバーもぐらの新宿店オープンは、そのような理念を内包したものであると信じたい。
当初、GRAND OPENの誤りとして、GROUND OPENと告知したのは、SNSやAIに塗れた損得勘定の渦巻くGROUND(地上)を否定し、かつての祝祭を取り戻すべくUNDERGROUND(地下)を肯定する無意識の願望であったのではないだろうか。
そのような妄想をかきたてる魅力がもぐらにはある。
4月5日、ノンハプバーもぐらが12年ぶりにカレー屋さんの2階に戻ってくるーー
2作目のヒットを祈願して、いったん筆をおくことにしよう。
もぐら新宿編・クランクイン
1作目で人気になったからといって、都会に行くのは、何も小ブタだけではない。
今からちょうど4年前に錦糸町にある小さな雑居ビルの一室で生まれた一匹のもぐらが、ついに新宿へ進出する。
4周年イベントを終えたばかりのノンハプバーもぐらが、「ノンハプバー新宿進出プロジェクト」の始動を宣言したのである。
プロジェクト開始を告げるXの投稿は、あっという前に数万インプレッションに達し、錦糸町界隈は熱狂の渦に飲み込まれた。
そういえば、マーティン・スコセッシ監督は、とある映画を評してこのように言っている。
「何が何だかよくわからないが、ものすごいパワーだ」
マーティン・スコセッシ(映画監督)
いまのノンハプバーもぐらを言い表すのに、これほど的確な言葉もないだろう。
以前にコラムでも言及したが、ノンハプバーもぐらはアンダーグラウンドの看板で商売をする営利集団ではない、アンダーグラウンドと共に人生を歩んでいこうとする人たちの「運動体」である。
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【祝4周年】ノンハプバーもぐら論
実際に平日2,000円、週末3,000円という破格の入場料で1週間に渡って開催された、先の周年イベントは新旧スタッフとユーザーの一体感を証明する最高の機会となった。
今やノンハプバーもぐらは、ビジネスや趣味を超えた、途方もない熱量と共にあるのだ。
ところでノンハプバーもぐらが4年前にオープンしてからの新宿といえば、大型店のオープンによって盛り返しつつあるものの、9259のクローズなどもあり、全般的にはダウントレンドにある。
一方、ノンハプバーもぐらが移転してリニューアルした当時の錦糸町といえば、アフロディーテとノーダウト(その後、業態を転換しリニューアルオープン)の同時クローズにより、黄昏の時を迎えようとしていたのである。
しかし、現在の錦糸町といえば、リニューアル後のノンハプバーもぐらの集客により、再び最盛期に差し掛かろうとしているのだ。
一匹のもぐらが進出することで、新宿がかつての賑わいを取り戻すことを願ってやまない。
ここで話を冒頭に戻そう。
ノンハプバーもぐらは、錦糸町の片隅で小さく誕生した。今にして思えば、必要最低限の価値を提供するという「リーン・スタートアップ」であった。
偶然ではあるが、この3月に錦糸町にオープンするノクターンも同様に、このリーン・スタートアップである。それは小箱スタイルで、深夜営業を週末に絞り混むという戦略であるからだ。
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【週末1万円】錦糸町ノクターンの「選択と集中」
それもお酒をハンドルネームの書き込んだプラカップで提供することで、オペレーションや什器のコストを削減し、スタッフのリソースを店内のコミュケーションに投下するという徹底ぶりである。
コンパクトなスペースで始まった、当初のノンハプバーもぐらもそれに近いようなオペレーションであったと想像されるが、アフロディーテ跡地への移転による規模拡大を経て、今やアンダーグラウンド誕生の地である新宿へと進出するのだ。
このようなサクセスストーリーは、きっと我々を勇気づけてくれるものであるに違いない。誰しもが小さなスタートから、思い描いていた未来を手に入れることができるのである。
ともあれ、ノンハプバーもぐら新宿進出プロジェクトは始動したばかりだ。
今後も情報の更新があり次第、当コラムでも積極的に取り上げていきたい。
アンダーグラウンドの新しい風は、錦糸町から吹くーー
【了】