【ラグジュアリー】港区アングラ秘史

2022-10-30

かつてのアングラの聖地

ハプニング全史の地域研究シリーズも回を重ねて今回で第4回となる。
先ずはこれまでの内容を概説し、これまでの議論を整理してから本論に入ることとしたい。

第1回で特集した錦糸町は、2010年代半ばからは新宿に次ぐハプバーメッカの地位にあったが、2022年になってからは、ハプニングバーが2軒同時にクローズする一方、大型のSMバーが出店するなど激動の最中にある。

【錦糸町】変態バーから大箱SMバーまでの20年史

第2回では上野のアングラ史を辿った。近年はハプニングバーの出店が相次ぎ、新宿に次ぐハプバーメッカの地位を錦糸町から譲り受けることになった。狭いエリアに5店舗がひしめく激戦区となっている。

【秘史解禁】上野のアングラ全史

第3回では池袋のアングラ史を研究した。90年代の池袋はカップル喫茶が多く営業しており、新宿に対する現在の錦糸町や上野のポジションにあったのである。

【不毛地帯】池袋のアングラ衰亡史

今回は、当時、池袋と並んでハプバーメッカであった六本木を特集することとしたい。なお、少数ではあるものの、赤坂や麻布十番にもお店があったことから、港区を研究の対象としている。

六本木の店舗リスト

まずは以前に作成した店舗リストである。

一覧表は以前にコラムで公開したリストから港区だけを抽出したものだ。
(まだまだ作成中であるので、情報をお持ちの方のご協力をお願いします)

スペース「ハプニング全史」の配信と「全店舗リスト」の公開について

池袋が1990年代からカップル喫茶が多かったことを考えると、六本木にアングラ店ができるのは、ハプニングバーが誕生した2000年以降と比較的遅い。

2000年と2001年に短期間だけ営業したカップル喫茶だけであったが、2002年に状況が一変する。2000年に新宿でオープンした元祖ハプニングバー、グランブルーの支店がオープンしたのである。(オープン当初はCAT'S)

【ハプバー考古学#03】Le Grand Bleu 〜深く潜る
【はじまりの記憶】ハプニングの起源について

同年には、のちに新宿に移転する美女と野獣(ハプニングバー)、そして同じビルに、カルチャー(カップル喫茶)がオープンする。なお、美女と野獣は2022年11月に同店名のバーとして、新宿にオープンすることが決まっている。

【美女と野獣】新宿5丁目の合法ハプニング

さらに、同年には、フランチャイズで全国展開していたLOCK(後に、鍵へ店名変更)がオープンする。
なお、LOCKは2004年に摘発され、これがきっかけとなってハプニングバーという言葉が一般化し、ハプバーラッシュとでも言うべき、ハプニングバーが大量出店ブームが巻き起こる。さらに同じ年には乱舞館やNOAなどもオープンする。

この年は池袋や新宿でもカップル喫茶やハプニングバーのオープンが集中しており、アングラのビッグバンとでも形容すべき現象が発生したのである。

2004年には赤坂でリアリティがオープンする。リアリティは神奈川を中心に、鍵と同様にフランチャイズ転換するグループであり、一時期は新宿や赤坂など東京にも進出していたのである。

2004年以降も新規出店が見られるが、短期間でクローズする店が多い。唯一、2008年オープンのK's Bar Alleyが2017年まで営業を続けるが、2010年代に入ってからは、界隈における六本木の存在感はほとんどなくなっていたのではないだろうか。

衰退の理由

なぜ六本木はアングラ界隈での存在感を失ってしまったのか。
本節ではこの点について言及していきたい。

想像の域を出ないが、2004年のLOCK摘発以降、同地域のレギュレーションが厳しくなったことや、六本木の再開発が進み、物件を手当てできなくなったことなどが、アングラ界隈において、六本木のプレゼンスが低下した理由に挙げられるだろう。

また、私が聞いたところではあるが、港区という地域の特性上、六本木にあるアングラ店は敷居が高かったようである。この頃はアングラは知る人ぞ知る遊びであり、特にカップル喫茶のカルチャーは、お客の容姿水準なども高く、選ばれた人たちの空間であったようだ。

しかし、2004年のLOCK摘発によってハプニングバーが大衆化し、集客や価格設定で有利な新宿に店が集中したのではないかと予想する。
実際に、美女と野獣が2004年に新宿へ移転し大型店舗を構えたのは、そのことを象徴的に表しているように思える。

つまり、2002年当初、カップル喫茶やハプニングバーは限られた人の大人の遊びであったが、2004年に大衆化するなかで、同地機でのレギュレーション強化や再開発による賃料高騰などにより、ハードルが高めに設定されていた六本木のアングラ文化は時代にマッチしなくなり、次第に衰退していったのではないかと結論付けることができる。

六本木のいま

2008年にK's Bar Alleyが出来てからは空白の期間が続き、次の新規出店は2019年のフェイスまで待たなくてはならない。

2021年にも、happening lounge "J"がラウンジを週末に利用して営業していたが、極めて短期間で閉店している。
このことは六本木でハプニングバーを営業することの困難さをわれわれに示しているようである。

確かにハプニングバーは敷居が低くなった。そのような状況の中で、大人の遊びとして高級感をイメージ戦略に営業するのは難しいのではないだろうか。唯一、それに成功しているのがフェイスだけという状況である。

現在、六本木にはSMバーが数店舗、営業を続けているが、ハプニングバーよりもはるかに高い価格設定である。
では同等の価格設定で、六本木に高級ハプニングバーは成立するのだろうか?

私なりの答えはノーである。

それは20年前であれば、そのようなお店は成立していたのかもしれないが、現在では、ハプニングバーにそのような高級路線のニーズは存在しないように思えるからだ。もはやアングラは限られた人だけの秘密の遊びではないのである。2022年に渋谷SBがクローズして以降は、さらにその傾向が加速しているようにも思える。

ラグジュアリーとアングラ・フェティッシュがクロスオーバーする余地があるのは、もはやSMバーだけであろう。

その意味において、六本木の現状は、世間のハプニングバーに対する受容の変遷をシンボリックに表していると言えよう。【了】

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2022/10/30公開

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