食パンの起源論
「アメリカに食パンはない。」
という書き出しから始まり、最後は物事の起源に関する思索にまで展開する文章を読んだ。
「言葉は都市を変えてゆく」と題された小沢健二のエッセイだ。
19年ぶりのシングル「流動体について」の広告として2017年に新聞に掲載されたものである。
アーティストの感性で日常生活を綴った示唆に富んだエッセイを装っているものの、実体は哲学の伝統的なテーマをベースにした論文であるかのような印象を受ける素晴らしいテクストだ。
ところで、エッセイとは何だろうか。
思索や意見、感想などを形式にとらわれず、簡潔に述べた文学の一ジャンル。エッセイまたはエセーは日本語では一般に「随筆」の意味で用いられ、文学の一ジャンルとして確立している。英語のessayはフランス語の「試す、試みる」を意味する動詞essayerから発している。
日本大百科全書
実はエッセイというのは、フランス語の「試す、試みる」という語源が示すとおり、試行的・実験的な文学形態の一つだ。
エッセイは自分自身の思考を試す手段として当初は成立していたのである。しかしながら、今やエッセイといえば欧米の大学入試でもっとも重要かつ難解な科目の一つとしても認識されている。
かくしてエッセイは、元々われわれの思考を「試す」手段であったが、いつしか、試験としてわれわれの思考力がエッセイによって、試されるようになっていたのである。
小沢健二のエッセイはどうだろうか?
小沢健二は自分の思想をテクストを使って試しているようでありながらも、どこかファンを試しているような印象さえ受ける。
小沢健二のエッセイは、私にとってはそのような存在だ。
そのようなわけで、今回のコラムでは小沢健二のエッセイについて解読を試みてみようと思う。小沢健二に試されるというわけである。
冒頭で述べたように小沢健二のエッセイは哲学的な示唆に富んでいる。その点をいくつか指摘しながら、エッセイを解読することで、小沢健二の起源を探求しよう。
それは小沢健二の楽曲について元ネタを発掘するような作業になるだろう。
まず、自分の子供が日本で初めて食パンを見て、以前に見たドラえもん漫画を頼りに、「アンキパン」と呼んで譲らなかったというエピソードがエッセイで展開される。
これはフェルディナン・ド・ソシュール1スイスの言語哲学者。1916年に死後出版された『一般言語学講義』Cours de linguistique généraleを通して知られるソシュールの思想は,まずはプラハ学派(音韻論,プラハ言語学サークル)やコペンハーゲン学派(言語素論)などに大きな影響を与え,ヨーロッパ構造主義の原点となった。(デジタル版 集英社世界文学大事典)が定義したシニフィアンとシニフィエ2言語学の用語。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが導入した概念。(日本大百科全書)や、ソール・クリプキ3アメリカの哲学者、論理学者。ニューヨーク州ロング・アイランド島ベイ・ショアでユダヤ教のラビの息子として生まれる。(日本大百科全書)による『名指しと必然性』4同著作は1970年に行われた講演を論文としてまとめたもので、論文集『自然言語の意味論』(1972)に収録され、その後加筆訂正されて1980年に同じ書名で単行本として出版された。同論は名前が対象をどう指示するかという問題をめぐって展開し、おもに、同一性の必然性、固有名の固定性、指示の因果論的見取図という三つのテーゼを提示している。"クリプキ", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-10-10)を参照しているように思われる。
他にも自分の子供が好きな戦隊ヒーローもののアクションシーンを類型化して分析するくだりは、構造主義51960年代以降フランスで生まれた現代思想の一潮流。フランスの人類学者レビ・ストロースは,ソシュールに始まり,イェルムスレウらのコペンハーゲン学派やヤコブソンらのプラハ言語学派において展開された構造言語学や,数学,情報理論などに学びつつ,未開社会の親族組織や神話の研究に〈構造論〉的方法を導入して,構造人類学を唱えた。(世界大百科事典)、特にクロード・レヴィ=ストロース6フランスの人類学者。パリ大学で法学と哲学を学び,はじめリセの哲学教師をつとめた。1935年サン・パウロ大学社会学教授としてブラジルに赴任し,ボロロ,ナンビクワラ等のインディオ社会の実地調査にあたった。(世界大百科事典)の影響を感じさせる。
小沢健二の起源論
小沢健二は、なぜこのような文章を書くのだろうか。
それは父親がドイツ文学者、母親が心理学者であるため、西洋哲学を含めた豊富な蔵書に囲まれて育ったことを考えれば不思議ではない。
硬質な哲学の議論を、軽快なエッセイで装い、大学で専攻したアメリカ文学に倣って口語的な表現でそれを綴る。
このような手法は、1993年のデビュー作『犬は吠えるがキャラバンは進む』のライナーノートから続く伝統だ。
30年も前から圧倒的な知識を背景として圧倒的な文章力を持ちながら、文学者や作家になるのではなく、ミュージシャンになって「オザケン」として歌で表現していたのだ。
「流動体について」の一節「だけど意思は言葉を変え、言葉は都市を変えてゆく」では、主意主義(意思)7一般に知性よりも意志・意欲--必ずしも人間の意志には限られない--を重視する神学,哲学,心理学上の立場。意志を精神活動の中心に据えるアウグスティヌスや,神における意志の優位を説くドゥンス・スコトゥスの教説は神学上の主意主義である。(世界大百科事典)と主知主義(知識)8感性・情意に認識の起源を求めず,知性ないし精神の思考にこれを求める哲学上の立場。この場合〈知性intellectus〉は感性に対立し,分析・分別する悟性,統括・直覚する理性を含む。合理主義よりも若干狭い意味で用いられ,情意とくに〈意志voluntas〉を起源とする主意主義に対立する。言葉としては19世紀初頭の成立。(世界大百科事典)という西洋思想の伝統的なフレームワークで都市論を語る。もちろん小沢教授ではなく、オザケンとして。
本当の姿は小沢教授なのにオザケンを貫き通すのである。東京藝大の大学院を卒業し、「教授」とあだ名された坂本龍一9昭和後期-平成時代のミュージシャン。昭和27年1月17日生まれ。昭和53年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成,テクノポップブームをまきおこす。アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した映画「ラストエンペラー」では俳優として出演もするなど幅ひろく活動。(日本人名大辞典)とは対称的10思想という意味でも両者は対照的だ。坂本龍一はニューアカデミズムの旗手、浅田彰と長く親交があり、その影響下で、ポストモダンを意識したコンセプトで楽曲やインスタレーションを制作する。一方の小沢健二が参照していると思われるものは、ドイツ文学者の父の影響によるポストモダン以前の伝統的な哲学やアメリカ文学である。(ハプガチ)だ。
それを踏まえて、歌詞の分析を試みよう。
「だけど意思は言葉を変え、言葉は都市を変えてゆく」(流動体について)
小沢健二は意志は都市を変えるとは決して言わない。意志を経由した言葉によって、都市が変わると説く。
小沢健二は主意主義者ではない。かといっても主知主義者ではない。換言すれば、主知主義を経由した主意主義、つまり主知主義的な主意主義者いうことだ。
そのようなスタンスの理由は小沢健二のルーツを探れば明快だ。
祖父、小沢開作11昭和時代の国家主義者,歯科医師。明治31年12月25日生まれ。小沢征爾の父。中国長春で歯科医を開業。昭和3年山口重次らと満州青年連盟の結成に参加,民族協和をうったえる。7年満州協和党中央事務局長となり,満州国づくりを支援した。(日本人名大辞典)は民族主義者であり、典型的な主意主義者だ。父、小澤俊夫12昭和45年11月21日死去。71歳。山梨県出身。東京歯科医専卒。ドイツのメルヒェンと呼ばれる口承伝承による昔話の研究が特に専門で、文学研究から民俗学にまたがる分野で幅広い研究を行っている。1998年、川崎市の自宅に「小澤昔ばなし研究所」を設立、昔話、メルヒェンの選集を多数出版している。(Wikipedia)は、構造主義の影響を受けた主知主義者。母、小沢牧子13日本の臨床心理学者。専門分野は、臨床心理学論、子ども・学校論。(Wikipedia)は、実業家、下河辺孫一の次女であり、叔父、小澤征爾14指揮者。第二次世界大戦後の日本を代表する国際的演奏家の一人。中国の奉天(現瀋陽 (しんよう/シェンヤン) )生まれ。桐朋 (とうほう) 学園で斎藤秀雄に指揮を学び、卒業の翌年の1959年(昭和34)渡欧、ブザンソン指揮者コンクールに優勝(日本大百科全書)は世界的指揮者だ。
なぜ起源論か
ここまで説明すれば、小沢健二が主知主義を経由した主意主義者であり、文学者ではなく音楽家である理由が判るだろう。
「民族主義者 ―文学者―資本家 ―音楽家」が小沢健二の起源だ。
もっとも小沢健二は、食パンの起源を辿ることで、そのような表面的な理解を否定しているようにも思える。
途方もなく長い時間のうえに、われわれは存在しているというのだ。
その起源を追っていくと、それは遠く遠く、霧の中へ消えていく。
言葉は都市を変えてゆく
無の中へ。
その、ものすごく長い時間の上に、僕らはいる。
もっとも「起源」というのは、は哲学の世界では代表的なテーマだ。
大抵の場合、物や言葉以前に精神が存在したのだから、起源の探求には限界があるという結論に落ち着く。そうであることは分かっていても、そのようなテクストを執筆するプロセスには価値があると考えられているし、起源論の変遷を辿ることは研究の対象になっている。
実のところ、「ハプニングバーの起源」を巡る一連のコラムも、先人への敬意を込めたものだ。
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【ハプバー考古学#03】Le Grand Bleu 〜深く潜る
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【はじまりの記憶】ハプニングの起源について
ハプニングバーの起源を厳密に特定することができるとは思ってもいないし、そのことが重要であるとも考えていない。
ただし、ハプニングバーの起源を辿ることは、われわれに何か重大な気づきを与えてくれるような気がする。
過去の偉大な哲学者がそうしてきたように。そして、小沢健二が「食パンの起源」でそのように考えたように。
小沢健二はこう記す。
その、ものすごく長い時間は、僕らを愛し、支える。
前掲
そして、その愛し方、支え方は、僕らの鼻についたり、腹の立つ原因になったりもするだろう。
小沢健二は物や言葉が存在する以前にあった精神と、自分や社会との複雑な関係性を「長い時間」として丁寧に見直してから、それを感情にして歌詞で表現する。
「流動体について」はそのような歌だ。
二つの鐘の音
たしかに長い時間は、われわれを支えているが、時にその愛はうるさくも感じられる。
とある継承者が鳴らす警告の鐘の音はまさにそのようなものだ。
耳元で鳴る鐘の音はうるさい。そうはいっても、鐘を強くたたいて大きな音を出さなければ、警告は遠くまで鳴り響かない。
鐘をたたき鳴らす姿を、近くで見届けるのも一つの役割であるように、わたしは思う。
警鐘が弔鐘に変わらないことを祈りながら――
そのようにして、長い時間と自分との関係を見つめ直すためにコラムは続く。
弔鐘
日本国語大辞典
人の死をいたんで打ちならす鐘。比喩的にも用いる。
などと考えながら、長い時間が経ったため、トースターで焼いて、かちかちになった食パンを口に運ぶのであった。
エッセイは難しい――
【了】
【更新履歴】
2022/10/11公開