【アングラ建築論】ブリスアウトの移転について

2022-11-20

追記(2023/11/25)

一年振りの更新となるが、今年10月末に同店が突然ですがクローズとなったことを追記したい。

長年にわたる営業、本当にお疲れ様でした。

追記(2022/11/26)

本日よりブリスアウトが新しい移転先で営業を再開する。

本日と明日はリニューアルオープンのパーティが行われるという。
旧店舗での最終営業が11/19であったことを考えていると、1週間という短期間での再開となった。

移転後の住所はHPで公開されているが、駅の出入り口にほど近いビルの7階になる。
お店へのアクセスは良くなり、ビルの地下1階から7階の高さにお店が移動したのだ。

また、お店の移転に伴い料金システムなどもアップデートされたようである。

そして、新店舗への移転を祝うかのように、当コラムでも人気記事の第1位となった。


新天地での新しい門出を祝し、さらなるご発展を心よりお祈り申し上げたい。

アングラ建築とは

同店がWebでの露出にあまり積極的ではないように思えたので、コラムのテーマにするのは憚られる部分もあったが、ハプニングバー史上の重要なイベントであると考え、このようにテクストとして残すことに決めた。

今回のコラムは、ブリスアウトの移転について記すものである。

11月19日、新宿ブリスアウトが現店舗での最終営業イベントを行った。

螺旋階段を降りた広大な地下空間に魅了された人は多く、ビルの老朽化による移転を惜しむ声も相次いでいたように思う。同店はハプニングバー史における名建築であったと言ってもよいだろう。

たとえば、最近でもハーネス東京のように内装にこだわり抜いた店舗は存在するが、それとは別の次元で建物の構造それ自体に価値が存在すると、私は考えているのだ。

【神は細部に宿る】鴨葱ラーメンとハーネス東京

したがって、今回のコラムでは、内装とは別にアングラ店向けの構造を持つ物件を「アングラ建築」と呼称することとしたい。

しかし残念なことに、そのようなアングラ建築としての価値を持つハプニングバーは減りつつあるようだ。ブリスアウトの移転がその典型である。

アングラ建築の例をあげれば、上野のKUNKUN(2012-2014)、私のハーモニカ(2014-2017)は、ビルのワンフロアを占有する大規模店舗として好評であったし、

【秘史解禁】上野のアングラ全史

ロシナンテとして復活を果たしたものの、渋谷の眠れる森の美女もラブホテル一棟をそのままハプニングバーに改装した画期的な店舗であった。

【2022年の事変】渋谷のアングラカルチャー史

六本木時代のカルチャーも2階がハプニングバー(元々は美女と野獣でその後、歌舞伎町へ移転)で、3階がカップル喫茶で内部は階段で繋がっていた。

【ラグジュアリー】港区アングラ秘史

このようにかつては、アングラ建築と呼べるような店の構造が、店舗を支えてきた部分もあったのではないかと思う。

話題は変わるが、建物の構造自体に価値を見いだすことができるのは、ハプニングバーだけではないように思える。クラブについても同様のことが言えるのではないだろうか。

今年クローズしたAgehaやVisionは代表例であるし、古くはYellowやその後継店のElevenなども特徴的な建物であった。現存するクラブとしてはWombなども建物それ自体に価値があるように思える。

日本においてハプニングという言葉(元々は現代アートの用語)が生まれたのは、青山(草月ホールの現代アートのイベントとしてのハプニング)、クラブカルチャーが生まれたのも青山、アングラカルチャーとして、元祖変態バーのグレイホールが生まれたのも青山であることを考えると、クラブカルチャーとアングラカルチャーの近接性は論じるに値すべきものであり、その議論は建築にまで拡張できるように思えるのだ。

【はじまりの記憶】ハプニングの起源について

建物に対する愛着

人は建物に対する不思議な愛着を持っているように思う。

たとえば店が新しい物件に移転した際も、旧店舗の方がよかったという声が聞かれることが多いからだ。
しかし、そうかといって、建物が同じままオーナーが変わった場合を考えると、同じ建物であったとして、お客さんが入れ替わるようなケースもあり、人は建物だけに執着しているわけでもなさそうなのである。

このように建物と人とは不思議な関係にあるように思えてならない。
そして建物と人の思い出は一体化しているようでもある。

ブリスアウト移転については店がクローズしてしまうような寂しい気分になった人も多いはずである。そう考えると、建物はノスタルジーを生む源泉であるし、人々がそれぞれに紡ぎだす物語の起源であるとも言えそうだ。

店も建物も有限である。

そのように書けば、方丈記が示すような無常観が私の前に立ち現れる。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

鴨長明『方丈記』

店も建物も儚い。

店が残って建物がなくなることがあれば、建物が残って店がなくなることもある。
後者のケースが圧倒的に多いと考えられるが、どちらのケースも複雑な気持ちにさせられる。

建て直しで店が別の建物に移転した後で、以前の建物の前を通り過ぎればなんとも言えない気持ちになるし、店がクローズした後に、その建物に別のオーナーがハプニングバーを開いたとしても、やはり同じような気持ちにさせられるからである。

男女関係にも似た複雑性が、建物と人との間には存在する——

関係が離れた後にも、何を期待するわけでもないのに、互いの不在を埋めるような感情に支配されるのである。

このように建物と人との付き合いに関する思索は留まるところを知らないようだ。
しかし、このコラムではいったん筆を休めようと思う。

ブリスアウトの新しい物語に期待しながら——【了】

【更新履歴】
2022/11/20公開

2022/11/21修正

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